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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

無錫旅情3


 
「無錫旅情23」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「無錫」の写真を公開しています。

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水滸伝は儒教道徳を兼ね備えまた
知識人にも評価される文学作品となった。

だが、反乱軍を主人公とする水滸伝は
儒教道徳を重んじる知識人にはあまり
高く評価されずにおわったようである。

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ほとんど民衆の読む通俗小説として
扱われるようになり、その風潮の中で
明末の陽明学者の李卓吾が儒者の偽善を
批判し水滸伝の通俗小説を高く評価した。

明代末期に水滸伝は農民反乱を扇動する
作品であるとして禁止令が出されている。

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「無錫旅情24」

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水滸伝は清代に入り京劇の題材になった。
108人が皇帝に従うという展開が
西太后などに好まれたようであった。

中国共産党では降伏経験のある幹部から
妥協的であるとされる幹部への
批判として水滸伝批判が行われた。

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1975年の毛沢東による水滸伝批判では
宋江が前首領を棚上げして実権を握り
自ら首領となり朝廷に帰順したことが
革命への裏切りであるとして非難された。

文化大革命の最中では批判的に読むための
連環画形式の水滸伝も出版されたが大革命が
党によって全面批判された後の水滸伝は
政治的位置付けは無くなり京劇も復活している。

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「無錫旅情25」

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水滸伝が日本入って来たのは
江戸時代の中ごろの1728年で
一部和訳され普及し19世紀初めには
翻訳、翻案が数多く作られた。

また浮世絵師の歌川国芳や葛飾北斎が
読本の挿絵や錦絵に描き広まった。

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半世紀後の1773年には「本朝水滸伝」が
成立したが、本編をの表現や発想などを
基にしながら創意を加えて独自の作品とした。

さらには日本の歴史をも改変したというが
水滸伝は現在の伝奇小説の先駆けとなった。

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「無錫旅情26」

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戯作家曲亭馬琴は水滸伝を日本を舞台とする
物語に取り入れ「新編水滸画伝」を著した。

水滸伝を代表作となる「椿説弓張月」や
「南総里見八犬伝」を書いており
パロディの「傾城水滸伝」も知られる。

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江戸時代後期の侠客である国定忠治の
武勇伝はのちに「水滸伝」の影響を受けた。

脚色され浪曲や講談で知られている
「天保水滸伝」は侠客笹川繁蔵と
飯岡助五郎の物語に水滸伝の名を冠した。

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「無錫旅情27」

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中国中央テレビ(CCTV)の連続ドラマである
『三国演義』いわゆる三国志のテーマパークに来た。

もともとはオープンセットであり「劉備招親」や
「火焼赤壁」また「草船借箭」などの名シーンは
いずれもここで撮影され1994年に放映された。

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中国の歴史の中の漢と晋の間に「魏、呉、蜀」の
三国が並立していた時代の物語りで漢の末期
悪徳な役人によって漢王朝は腐敗していた。

そんな時代の中、張角が仙人から妖術の書を
授かり、腐敗した漢王朝を倒すために黄巾の乱を
起こしたが漢王朝はこの乱を何とか鎮めた。

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「無錫旅情28」

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日本へ三国志が伝来した時期については
正確には判明していないようである。

760年の天平宝字4年に成立した藤氏家伝の
大織冠伝には蘇我入鹿の政を批判する記述があり
すでに董卓の奸臣としてのイメージが
形成されていた事が窺われる。

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天平宝字4年淳仁天皇は舎人6人を大宰府に
遣わして吉備真備の下で「諸葛亮八陳」や
「孫子九地」といった陣法を修得させている。

769年の神護景雲3年には称徳天皇が大宰府の
請に応じて『史記』『漢書』『後漢書』また
『三国志』『晋書』を下賜している。

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「無錫旅情29」

「中国写真ライフ」では、
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藤原佐世が撰述した平安初期の漢籍目録には
当時の日本に存在した後漢時代の史料として
『三国志』の名を見出す事が出来る。

平安末期の藤原通憲『通憲入道蔵書目録』には
『魏呉蜀志』二十帖があり、藤原頼長は
読了した漢籍として『三国志』を挙げている。

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『太平記』には、大蛇に変身する夢を見た
新田義貞が吉夢であると喜ぶが、斉藤道献は
密かに大蛇を「臥竜」諸葛孔明の奮闘と
無念の死に重ね合わせ義貞の戦死を
予感するという描写を見つけたという。

この物語は曹操・劉備存命中に五丈原の役が
起こるなど史実や演義などと異同がある上
日本でアレンジされた一つの三国志物語とも言える。

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「無錫旅情30」

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朝鮮の中世以降に五山の学僧や
江戸の漢学者は主に朱子学に基づき
三国志の人物を論評した。

諸葛亮が帝王の補佐をするのに
相応しい才能がある人物か否かについて
学者たちは肯定する者や否定する者もいた。

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江戸期の漢詩の題材としても三国志の人物が
好まれており特に関羽と諸葛亮が讃えられた。

明治以降の正史に基づいた史伝としては
『諸葛武侯』や『三国志実録』など出版された。

また『秘本三国志』などの小説の一部には
正史の記述が取り入れられているが
三国志といえば『三国志演義』の物語を指す。

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「無錫旅情31」

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日本での三国志ブームが起こったのは
1977年から12年掛けて三国志全集が出てから。

『世界古典文学全集24 三国志』『三国志』が
初めて日本語完訳され改訂再刊されてからである。

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その後、幅広い世代の三国志愛好家が正史を
読めるようになり多くの人々が『三国志演義』の
固定化していたイメージに疑問を持つようになった。

これ以後、三国志の解説書が多数登場し漫画や
ゲームなどにも作品が現れるようになった。

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「無錫旅情32」

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日本で三国志といえば漫画家横山光輝の
三国志であろう。また、三国志の原作に
忠実に描かれており1992年頃のバブル時代の
最終章でテレビ東京では大好評であった。

三国演義に基づいた三国志ブームの中で
人物設定や出来事など一部の事柄を正史に
基づいて再構成したところに興味が湧いた。

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三国志演義は江戸の大衆文化に大きく
入り込み武士の間で広く読まれ続けた。

『三国志演義』の伝来時期は定かではないが
江戸初期には詩文などの中に演義の影響を
受けたものも多く見られるようになった。

儒学者の林羅山は徳川家康に抜擢された。
のち徳川家光に重用されて幕政に参画し
儒学の官学化に貢献したが三国志を読了した。

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「無錫旅情33」

「中国写真ライフ」では、
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『三国志』の日本語訳本が討ち入りの
9年ほど前の元禄5年に『通俗三国志』が
刊行され元禄時代の武士の間で広まった。

江戸時代に外国の小説が日本語訳されたのは
初めてのことでもあり興味深深で読んだ。

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日本語訳『三国志演義』は以後、何度も
再刊がなされ葛飾北斎の弟子の葛飾戴斗の
『絵本通俗三国志』が人気を博した。

明治に入ってからは『新訂通俗三国志』など
諸種の訳が現れ明治期以降更に人気になった。

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「中国の旅」


   
「無錫旅情34」

「中国写真ライフ」では、
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日本において『通俗三国志』の刊行以後
大衆文化にも三国志が普及し出した。

歌舞伎においては早くも三国志の武将の
「関羽」という台詞が出始めている。

歌舞伎作品に「関羽」という題名もある。

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近年では市川猿之助の歌舞伎『新・三国志』が
ブームになり日本国内での祭りにも影響を与えた。

洒落本では劉備が吉原で料亭を営むところに
借金を抱えた孔明が転がり込んだ所へ仲達が
押し掛けるが孔明の計略で撃退される。

このような三国志のパロディが江戸時代の文化に
溶け込み読者層にも三国志の物語が広まって行った。

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「中国の旅」


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